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「捕まった時の悪夢が蘇った」 元脱北者が「送還阻止」訴え涙の手紙

「捕まった時の悪夢が蘇った」 元脱北者が「送還阻止」訴え涙の手紙

Posted March. 12, 2012 06:53,   

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「マスクを取って顔を公開したのは、中国公安に捕まり、表現できないほどの恐怖に震えている彼らのために私がしてあげられる唯一のことでした」

4日午後、ソウル西大門区(ソデムンク)の延世(ヨンセ)大学百周年記念館で行われた脱北者強制送還阻止「クライ・ウィズ・アス(Cry with us)」コンサート会場。コンサートに参加した脱北青少年や大学生は皆マスクをしていたが、イ・キョンファさん(26=延世大学国文学科4年生)だけは素顔だった。彼女は、カメラのフラッシュを浴びながら、強制送還の危機にさらされている脱北者たちのために涙の手紙を読んだ。

脱北者がメディアに顔を公開することは、死を覚悟した決断だ。北朝鮮当局で、脱北者の身元を把握し、北朝鮮の家族や親戚を保衛部に連行し、政治犯収容所に収監して拷問し、処刑される恐れもある。

9日午後、延世大学で会ったイさんは、「マスクを取って手紙を読んでほしいと言われ、親戚のことが心配で眠れなかった」と話した。イさんの心を動かしたのは、本人の強制送還の体験だった。彼女には、05年に中国に脱北する前に強制送還され、保衛部で尋問を受けた悪夢のような記憶がある。

イさんが脱北する直前、母親は2度目の脱北を図ったが、北朝鮮に送還されて拷問を受け、歩くこともできずに這って家に帰ってきた。母親は数ヵ月間、何も話さず寝込んでいた。食べるものがなく、一日中空腹だったイさんは、生きるために03年12月に脱北したが、3日後に中国公安に捕まり、北朝鮮に送還された。

保衛部での生活はひどかった。彼らは、脱北者数百人を窓もなく真冬の冷たい風が入ってくる保衛部の廊下の椅子にぎゅうぎゅうに座らせた。足を動かしただけで罵倒と暴行が始まった。夜になると脱北者が角材で数百発も殴られ、悲鳴が響いた。

動物以下の生活をさせられたイさんは、1ヵ月半後に家に戻ったが、娘が脱北したために連行される危機にあった母親は、再び脱北を図っていた。母親が帰ってこないので、イさんは05年に再び脱北を試み、中国のブローカーを通じて辛うじて06年に韓国の地を踏んだ。

韓国に来たが、中国公安に捕まった脱北者の知らせを聞く度に、胸が張り裂けんばかりだった。母親が捕まったのではと考えたためだった。イさんは、「強制送還を目前にした脱北者の心情は、世の中のどの単語でも表現できない。何度も北朝鮮に送還され、苦難に会った脱北者は、死を待つかのようにすべてをあきらめた状態だ」と話した。幸い彼女は、10年にインターネットの脱北住民のサイトを通じて、中国にいる母親を韓国に連れてくることに成功した。

イさんは今でも、保衛部に連行されて「椅子拷問」を受けた記憶のため、駐韓中国大使館の前で行われる集会に参加することができない。多くの人といることへのトラウマのためだ。

その代わり、彼女は勇気を出して顔を公開する方法を選んだ。彼女は、「公安に捕えられている時、最も苦しかったことは、私がこのように苦痛を受けているという事実を誰も知らないということだった。私たちが知っているということを、あなたたちのことを心配しているということを伝えたいという思いでマスクを取った」と話した。

彼女は、これからも関連行事で脱北者の代表として顔を出し、涙で呼びかける計画だ。彼女は、「韓国の人々に統一や脱北者についての講義もし、死しか考えられない彼らに関心を持ってもらいたい」と語った。



hjson@donga.com