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オピニオン]ムスリム同胞団

Posted June. 26, 2012 08:42,   

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イスラム原理主義を築いた理論家のサイイド・クトゥブが1966年、エジプトで絞首刑に処された。ナセル大統領暗殺未遂事件の首謀者という罪名だった。ナセルに代表されるアラブ民族主義とクトゥブに代表されるイスラム原理主義の対立を象徴的に示す事件だった。クトゥブの後に続いて、パキスタンではマウドゥーディー、イランではホメイニが登場した。この3人が、イスラムの宗教的ビジョンを今日の政治運動に作り上げた立役者だ。

◆クトゥブは、ムスリム同胞団に属していた。エジプトが英国の植民支配だった1928年に創立されたムスリム同胞団は、植民地からの解放と独立による新しい政治状況に符号する理念を1950年代に作り出した。クトゥブがその中心人物だった。クトゥブが書いた「クルアーンの陰」、「道標」は、エジプトでベストセラーとなった。ムスリム同胞団は、1952年にナセルの軍事クーデターが成功した時、「エジプト国民の息子による政権掌握」と歓迎した。しかし、ナセルはムスリム同胞団の大衆的人気が政権に脅威になると考え、1954年にムスリム同胞団の活動を禁止した。2つの集団の長い対立が始まった。

◆昨年の「アラブの春」民主化デモでナセル以来続いた軍事政権が崩壊した後、初めて実施されたエジプト大統領選挙で、ムスリム同胞団のムハンマド・ムルシ候補が大統領に当選した。1966年のクトゥブの処刑、アラブ民族主義に受けたイスラム原理主義の敗北を覆す事件と評価できる。ムスリム同胞団は昨年、反政府デモが行われている時には政治に干渉しないと言っていたが、これを翻して、今年3月の総選挙で多数党になった。総選挙直後は大統領選挙に参加しないと言っていたが、再び言を翻して大統領選で候補を出し、勝利した。

◆エジプト軍部の抵抗は執拗だ。軍部は先週、ムスリム同胞団とイスラム原理主義サラフィが60%以上を掌握した議会を解散し、大統領の軍統帥権を剥奪する臨時憲法を発効させた。今後、ムルシ大統領と軍部の対立は避けられないもようだ。ムルシ大統領が、政治、経済、社会に時代錯誤的な宗教的制約を加える可能性もある。軍部が鉄拳で民主的手続きを妨害することもあり得る。両者を制御する鍵は、エジプト国民が握っている。

宋平仁(ソン・ピョンイン)論説委員 pisong@donga.com