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[東京小考] 日韓は器の大きさを競えぬか

Posted April. 04, 2013 10:47,   

한국어

日本には「60の手習い」という言葉があるが、 いま31年ぶりにソウルで韓国語を習っている私は、65歳の学生生活である。世界各国から来ている同じクラスの若者たちについていくのは大変だが、むかし習った言葉がよみがえるのはうれしく、新しいことを覚えるのもまた楽しい。

これには少し説明が必要だろう。今年1月、40年以上にわたった新聞記者生活にピリオドを打った私は、韓国の東西大学とソウル大学から相次いで、碩座教授や客員研究員の席をいただいた。大変ありがたいことだが、どうせならすっかりさびついた韓国語をもう一度学びたい。

そんな私の願いがかない、韓国国際交流財団の計らいで西江大学の韓国語教育院に学ぶ機会が与えられたのだ。

これまでも毎年この国を訪れていたから、変化の速さは感じていた。しかし、実際に住んでみると、30年前のソウルの姿が改めて鮮明に思い出され、いまは全く別の国にいるような錯覚にさえとらわれる。

ひとつ例を挙げれば、かつて韓国にはタバン(茶房)がそこらじゅうにあった。ある日、あるタバンでアガシに「サンドイッチかトーストがないか」と聞いた私は、北朝鮮のスパイと間違えられて警察に申告されてしまった。タバンでパンを食べたいとは非常識な男だと思われたのだが、いま、おいしいサンドイッチやケーキを用意したカフェが並ぶソウルで、あんなタバンがあれば重要文化財に指定されるかもしれない。

この30年余りの間には88オリンピックがあり、民主主義への大転換があった。経済成長は著しく、サムソンは世界のサムソンになった。タバンからカフェへの変貌は、社会や経済の近代化とともに、この国のカルチャーが変わったことを物語る。

日韓の間では2002年にサッカーのワールドカップ共催があり、にわかに火が付いた日本の韓流ブームには終わりがない。私の通う学校にも若い日本人女性がどれだけ多いことか。韓国のポップスや俳優の魅力に取りつかれた彼女らの存在は、かつて想像すらできなかった。

だが、にもかかわらず、日韓関係は難しくなった。せっかく朴槿恵さんという注目の女性大統領が誕生したのだから、せめて米国訪問の帰りに日本に寄ってもらえればありがたいが、その気配はない。竹島(独島)や従軍慰安婦の問題がひっかかっているからだ。誰に聞いても、このままではいつ日本に行けるのやら見当がつかないと言うから、何とももどかしいではないか。

嫌なニュースも重なった。東京の韓流タウンといえる新大久保で、一部の右翼団体が韓国への憎悪をむきだしてデモを重ねていることだ。これに反撃する日本人の動きも報じられているのは救いだが、こういう映像をソウルで見るのは恥ずかしく、やりきれない。

一方、こちらではあまり報じられていないが、韓国でも日本に対しておかしなことがおきた。対馬の寺から本尊の仏像が盗まれた。韓国で犯人たちが捕まり、警察は仏像も押収したのだが、これは600年以上前に韓国の寺から盗まれたものに違いないから日本の寺には返すなという訴えが出され、裁判所が返還差し止めの仮処分を出してしまったのだ。

日本に対する積年の恨みもわからないではないが、こんな理屈がまかり通れば、近代の秩序は成り立たなくなる。世界に知られれば、韓国のイメージがどれだけ傷つくか、私にはそれが心配だ。

つい先日、元国会議長で大長老の金在淳さんを訪ねた。懐かしい昔話に花を咲かせたが、私には忘れられないエピソードがある。ちょうど20年前、国会議長で韓日議員連盟の会長にもなった金さんが来日した折、将来の首相候補たちに会いたいと言うので、私が案内役をすることになった。

ホテルに迎えに行くと、意外な光景が目に入った。韓国の駐日公使がきて、しきりにこの訪問を止めている。「国会議長ともあろう者が、日本の議員の事務所を訪ねて回ったのでは韓国の面子が立たない。会いたければ、こちらに集めてください」。

これを議長が拒んで叱りつけている。「バカを言うな。こちらが面会を申し入れているのだから、訪ねるのが当然だ。韓日関係の明日のためなら、私は韓信の股くぐりでもするよ」。

こうして私は金さんを案内して回ったのだが、以来、私はすっかり金さんの大ファンになってしまった。何という器の大きさか。こういう政治家には昨今、日韓のどちらでもなかなかお目にかかれまい。

今の日韓両国は互いに面子と自己主張にこだわって、器の小ささを競っているように思える。とりわけ北朝鮮の脅威に対して一緒に向き合うべきとき、こんなことでどうするのか。久々のソウル暮らしをしながら、日韓が器の大きさを競い合う時代はこないものかと願う日々だ。

若宮啓文 日本国際交流センターシニアフェロー•前朝日新聞主筆